ポケモン小説『海のプラチナ』第31.5話 おかっぱの少女
―アタシはお化けが大嫌いだ。
ホホホホホ!アタシはハクタイジムリーダーのナタネ!弱冠16歳にしてシンオウ地方の草ポケモンのエキスパートよ。ポケモントレーナーの中でも特別な立場にいるアタシだけど悩みがある。今、アタシはハクタイの森の出口の近くにいる。木の壁の向こう側をちらりと見るとアタシは本日何度目になるかわからないため息をついた。
ハクタイの森には苔で覆われた不思議な岩以外に名物スポットがある。その名も『森の洋館』。ハクタイの森一番のドッキリスポットで苔の岩より有名だった。ゴーストポケモンが出没する森の洋館は肝試しに最適だけど地元の人ですら近づかない。アタシだってそんな恐いところに用がなければ行きたくない。だけど夜な夜な聞こえてくる騒音、怪しい人影、果てには幽霊が出るとハクタイシティの人たちから苦情がきた。最近怪しい集団が各地で現れているということもありポケモン理事会はジムリーダーであるアタシに任務を与えた。
『森の洋館の騒ぎの原因を調査せよ』
ハクタイの森はハクタイシティに隣接しており、ハクタイシティジムリーダーであるアタシの管轄だった。ハクタイシティで生まれ育ち、ここの地理に詳しいアタシが適任とされた。尤もな話だけど…………なんでアタシなのよーーー!!アタシお化けが苦手なのに!大体お化け関連ならゴーストポケモン使いであるメリッサさんが適任じゃない!同じジムリーダーでアタシより強いしお化けなんて恐くないし霊感あるしアタシより適任よ!そりゃヨスガシティからここに来るにはテンガン山を潜らなきゃいけないけどさ……。
「…………ロズレイド、良いこと思いついたわ」
「ロズ?」
アタシはお気に入りのポケモン、ロズレイドに話しかけた。両手に薔薇のブーケが生えた薔薇の戦士は一番アタシと付き合いの長いポケモンだった。
「洋館には入らず帰りましょ」
「ロズッ!?」
ロズレイドの目が一瞬大きくなった。こうなることはわかっていた。アタシは話を続けた。
「森の洋館に行ったことにすればいいのよ。報告書を提出して何もありませんでしたって言えばどうかしら?もしくはとんでもないポケモンが出たとか……。そうすれば理事会はアタシの手には負えないって判断してメリッサさんを向かわせると思うの」
ロズレイドは青い薔薇が咲いているほうの手を頭を押さえて考えた。しばらくすると両手を下ろして首を素早く横に振った。
「え~!?いいじゃない!それにロズレイドも本当は恐いんでしょ?」
「ロッ……!」
ロズレイドは肩を上げた。図星ね。ロズレイドはアタシに似てうっかりやだもの。何を考えているかアタシには筒抜けだった。
「さ~て、帰ろっか」
アタシはハクタイシティへ戻ろうとしたけどロズレイドがアタシのマントを引っぱった。その目は必死で逃げちゃ駄目だと訴えていた。
「いいから……アタシを……帰らせて……!」
ロズレイドはアタシのマントを放さない。しまいにはアタシたちはマントを綱引きのように引っ張り合っていた。
「あ~ん、もう!行きたければ1匹で行けばいいじゃない!」
マントを脱いで逃げようかと思った。だけど横から男の子の声が聞こえてきた。
「なあ」
「ミギャーー!!」
で、出たーー!!お化けーーー!!ロズレイドの手が離れた隙に逃げようとしたけど再びマントを引っぱられた。足が進まなーーい!
「おまえがハクタイシティのジムリーダーか?」
お化けじゃない……?恐る恐る振り返ったらアタシのマントを掴んでいたのはアタシより背が低い金髪の少年だった。くせっけが強くて髪の毛をとかしているのか訊きたくなるような変な髪形だった。オレンジと黄色の横じまの服はどことなく水兵を連想させた。
「そ、そうだけど……」
よかった。お化けじゃなかった。少し落ち着きを取り戻したアタシはほっと息をついた。もっとジムリーダーらしくビシッと決めなきゃ!
「オレ、フタバタウンのジュン!さっきジム戦しに行ったらジムリーダーは任務で森の洋館に向かったって言ったから来たんだけど」
ジム挑戦者……!?しめた!これで町に戻る理由が出来た!ジムリーダーとしてジム挑戦者を待たせるわけにはいかない。緊急事態でもない限りジム戦を優先させるべきよね!
「ええ、そうよ。でもアナタがどうしてもジム戦したいなら仕方ないわよね。さっそく町に戻ってジム戦を……」
「でもおまえ任務があんだろ?そっちを優先しろよ。なんだったらオレが手伝ってやるよ!」
「へ?」
違う違うちがーーう!!そんな親切いらないって!アタシは森の洋館には行きたくないの!
「この木が一番斬りやすそうだな。ナエトル!」
「ルー!」
影が薄かったのかそのポケモンの存在に気がつかなかった。ジュンという少年の足元には若葉ポケモンのナエトルがいた。茶色い甲羅を背負った陸亀の頭には立派な双葉がついている。アタシの持っているナエトルと同じ。
「『はっぱカッター』!」
―シュッ。
ジュンのナエトルは頭についている双葉を放った。はっぱは森の洋館への道を塞ぐ木に当たったけどびくともしなかった。
「なんだってんだよー!」
あっけにとられるジュンを見てアタシはやれやれと思った。
「これだから初心者は……。いい?この細くて長い木はジャマギって言うの。それなりに硬くて普通に斬ってもすぐ再生しちゃう厄介な木なの。確実に斬るには秘伝技の『居合い斬り』を使わないと無理よ」
アタシは鼻をふふんと鳴らした。これでジムリーダーらしく振舞えたわね。
「おまえは斬れるのか?」
「当然よ。ロズレイド!」
「ロズ!」
ロズレイドは軽い身のこなしで青いブーケを振った。
―スパッ。
沈黙を遮るようにジャマギが倒れた。さすが木を斬ることに特化した技だわ。こんなにきれいに斬れるだなんて。
「へえ~。すげーな。んじゃさっそく行くか!」
「ル~♪」
「え?」
し、しまった……。かっこつけたくてついジャマギを斬っちゃったわ!
「いやーーー!洋館には行きたくなーーい!!」
嫌がるアタシをジュンは引っぱった。後ろはロズレイドに押されている。
「ロズレイドーーー!アタシを裏切ったわねーー!」
ロズレイドは口笛を吹いていた。アタシは迷惑なお人好しと裏切り者のロズレイドによって泣く泣く洋館の中へと引きずり込まれた。
***
ああ、どうしてこんなことになったんだろう。アタシはただコンテストに出場するほど暇なメリッサさんに仕事をあげようとしただけなのに。洋館は昔からある古い建物で外も中もクラシックだった。由緒ある屋敷は暗くて汚れていたので返ってホラー度を増していた。やめてよ……洋式の建物も和式の建物も古くて幽霊が出そうで苦手なのに!
「お~い。階段上がるぞ~」
アタシを屋敷へと引きずり込んだ張本人はナエトルと一緒にのん気に進んでいる。ロズレイドはアタシを洋館へと押したくせに今はアタシの脚にくっついている。ああん、もう!やっぱり建物もインテリアもモダンが一番よ!幽霊が最も似合わない様式だもん。日本人形とフランス人形はきれいだけど不気味で嫌い!
「わ、わかったわよ!」
アタシはしぶしぶ階段を上がった。ロズレイドが脚にしがみついているせいで歩きにくい。もう……なんでジュンは平気なのかしら。
階段を上りきったら大きな影が動いた。驚いて離れようとしたら影はアタシの動きに呼応するように動いた。
「ロズーーー!!」
「キャアアアア!!お化けーーー!!」
アタシはとっさにジュンに飛びついた。影はバタバタ動いている。
「守って!アタシを守ってよーー!!」
「落ちつけ!それお前の影だぞ!」
ジュンくんはアタシを無理矢理振り払った。近くにいる人がジュンだけだったのでつい飛びついてしまった。ロズレイドはアタシと同じくらいビビッてたしアタシより小さいから頼る気がしなかった。
「さっさと先行こうぜ。探検はまだ始まったばかりだー!」
アタシとは180度も違うテンションでジュンは意気揚々と進んだ。温度差の激しいアタシの苦労もまだ始まったばかりだった。
ベランダみたいな廊下を抜けるといくつものドアが並んでいた。正方形の木を並べて作られた床は何箇所か剥げている。ジュンは一番近くにあったドアを開けた。
「ここは物置だな」
部屋にはイスが積み重なり本棚や箱が置いてあった。ポケモンも人もいないことを確認するとアタシたちは部屋を出た。あっさりドアを開けてあっさり閉めるジュン。恐いもの知らずなジュンくんがうらやましい。アタシがドアを開けるとしたらすんごく時間がかかるだろうし閉めるときは大きな音を立ててしまうだろう。
たぶんこの廊下には個室が集まっている。ホテルみたいに廊下にドアがたくさん並んでいるから間違いない。次の部屋に向かおうとしたら何の前触れもなくアタシのうなじがひんやりした。アタシはダッシュでジュン目掛けてダイブした。
「ひいいいいい!お化けに触られたーーー!」
「ロズーーー!?」
「ただの水だろ!」
「ルー」
ナエトルはロズレイドに優しく話しかけた。「大丈夫だよ」と言っているのだろうか。それに引き換えジュンは不機嫌だった。
「オレにくっつくな!」
「そんなこと言われても……」
アタシだって本来こんな好みじゃない少年にくっつきたくない。でも恐いから仕方ないじゃない。
「まったく。本当におまえジムリーダーか?」
ジュンくんは横を向いていた顔を正面に戻し、思い息を一気に吐いた。うう……あきれられてる……。
「そのロズレイドもなんだか頼りないし……」
そう言ってアタシの足元にいるロズレイドを見ようとした彼の顔を見て絶句した。彼の顔があるべき所には紫色のガスに覆われた黒い球体があった。異常に白い部分が大きすぎる半円の眼と大きな口から覗く白い牙。彼の金色の髪もオレンジ色の瞳も見えない。彼の面影は0だった。
「お化けーーーー!!」
「へ?」
アタシは顔がまるっきり変わったジュンを平手打ちして胴体を蹴った。眼をつぶっていたけど手応えがあった。
「なんだってんだよー!」
変わった叫び声を聞いてアタシは我に返った。ジュンの顔は元に戻っていた。あ、あれ……?よく考えたらさっきの顔はガス状ポケモンのゴース。ゴーストタイプのポケモンはほとんどの物体をすり抜けるからそれを利用してジュンの顔に…………しまった!
「ご、ごめん!ゴーストポケモンのイタズラだったみたい……」
「なんだってんだよー!ポケモンのくせにオレを盾にしたのか?許さねー!」
そう言い終わったと同時にどこからかピアノの音が聞こえてきた。廊下の奥から聞こえてくる。ピアノの音だけでなく歌声まで聞こえてきた。
―ラ~……ラ・ラ~ララ~♪
「ひいいいいいい!」
「今度はピアノで恐がらせようっていうのか?冗談じゃないぜ!行くぞ!ナエトル!」
「ルー!」
だからどうしてこの人たちは平気なのーー?!さっき歩いた道に引き返そうとしたら手首を掴まれた。アタシも直行するのーーー!?
「うおおおおおおおおおお!!」
「いやあああああああああ!!」
全く異なる意味合いで叫びながらアタシたちは床を疾走した。
―ラ……ラ・ラ~ララ~♪ラ~ラ……ララ~♪
ピアノと歌声は奥の部屋から聞こえてくる。
「ここだ!」
―バンッ。
ジュンは勢いよくドアを開けた。ピアノと歌声のコラボレーションは止まらない。
「やい!おまえか!?さっきオレたちにイタズラしたのは?!」
「ムウ?」
怪しく光っていたピアノはその輝きを失った。わかめのようにヒラヒラした濃藍の頭部に眠そうな赤色の瞳。首には半透明の赤紫色のビーダマのようなものがネックレスみたいにくっついていた。首から下には何もない。濃藍の生首と言ってもいい。
「ムウ。ムウムム~ム。ムムムムウマ。ム~ムム~ムム?」
「ミギャーーーーーーーーー!!」
「ロズーーーーー!!」
夜泣きポケモンのムウマだ!メリッサさんがムウマの進化系のムウマージを持っているから知ってる。ムウマージは三角帽子にローブを羽織っているような姿だから恐くないけどムウマは苦手!だって胴体がないじゃない!
アタシは逃げようとしたけどマントを掴まれた。
「おい!待てよナタネ!オレにイタズラをしたのはこいつか?」
「違うわよーーー!」
首を絞めないように首下にあるマントをひっぱりひたすら脚を動かしたけどジュンから逃れられない。年下なのに力が強い。
「そうか。わりぃ。ポケモン違いだった」
「ムウ~」
「ル~」
そう言うと丁寧にドアを閉めた。
「礼儀正しいゴーストポケモンもいるんだな」
「イタズラ好きだろうが礼儀正しいだろうがゴーストポケモンはゴーストポケモンよ!」
「まあな」
アタシはため息をつくとジュンの服の裾を掴んだ。腕を組んだら怒るだろうし好きじゃない男の子の腕を組むのはもうやめようと思った。
「オレにくっつくなよ!ヒカリ以外の女にくっつかれてもうれしくないっつーの!つーかさっきからヒカリみたいにギャーギャー騒ぐなよ!迷惑なんだよ!」
ついにジュンが我慢できなくなって手を振りほどかれた。いきなりキレられても困る。しかも話の内容が見えない。
「わ、わかったわよ。ごめんってば!……でもヒカリって誰よ?アナタの友だち?」
アタシの問いにジュンは腕を組んだ。さっきまではあんなに怒っていたのに。
「ヒカリはオレの自慢の友だちであり幼馴染であり妹でもあり家族でもある!頭いいし顔も……かわいい部類に入るのか?そういえばヒカリよりかわいい女って見たことないな」
ジュンは得意げに答えた。よくわからないけどジュンにとってヒカリはよっぽど大切な人なんだ……。
「でもあいつ方向音痴でお化けが苦手なんだよな~」
「その子のことがとっても好きなのね」
「もちろんだ!オレの母ちゃんと同じくらい……ん?母ちゃんよりも好きか?」
アタシの口から笑いが漏れた。正直だな。それでいてどこまでも真っ直ぐ。うらやましい。
「まあ、いいや。母ちゃんはダディが守ってくれるはずだからな。ヒカリはオレが守る!誰よりも強くなってヒカリを守るんだ!」
「ふ~ん……」
だからジュンは何も恐くないのかな?ヒカリという女の子を守りたいから。
「おまえは好きなやついないのか?」
「いるわよ。アタシが好きなのは……」
同性の親友のモミを思い浮かべようとしてアタシははっとした。
モミの名前を言おうとしたのに頭に浮かんだのは赤茶色の頭にヘルメットを被ったあの人だった。
な、なんであの人のことを思い浮かべるのよ?アタシと彼はただのジムリーダー仲間なのに!
「ひ……秘密!」
「なんだよ?オレの知ってるやつか?」
口が勝手に開いたけど何も言わなかった。知ってるどころかついこの前ジュンも戦ったばかりのはずだ。
「い、いいから秘密なの!」
「そうか」
ここの廊下を出て階段へと通じる廊下に出た。
「まっさきに2階に上がったけどそういえば下の階にまだ行ってない場所があったな。そっち行こうぜ」
ジュンとナエトルは先に歩いた。アタシとロズレイドもジュンに続いた。不思議と恐くなかった。さっき怒られたりジュンの好きな人の話を聞いたりしたせいだろうか。さっきより落ち着いて洋館を歩くことができるようになった。
***
アタシはまだ開けていないドアを開けた。今まで見た部屋と比べて広い部屋だった。真ん中にはどうやってここまで運んだのかと思うくらい大きなセミダブルのベッドが二つ並んでいた。たぶんこの館の主人と奥さんが使っていた部屋だ。部屋の隅には本棚が2個づつ置いてある。ゴミ箱に化粧台やタンスが置いてあるけどどれも埃を被っている。ドアがついている壁の隅の床はかなり剥げている。この洋館ってどれくらい放って置かれてるのかしら?
「こっちの部屋にはテレビとゴミ箱しかないぞー」
ジュンが隣りの部屋の様子を伝えてくれた。アタシもお返しに見たばかりの部屋の内部を教えた。
「こっちは大きなベッドと家具があるだけよ」
「じゃあ下の階に戻るか」
今まで行った道を戻りながらアタシは考えた。この洋館に入ってからゴースが脅かしたりムウマがピアノを弾いたりしていたけど彼らが騒音の原因かしら?でもゴースの脅かしは脅かす人がいなければ叫び声を聞くことができない。いくら洋館が森の出口の近くにあるからってムウマのピアノと歌声が町に届くとは思えない。
「なにだまりこんでいるんだ?」
「考え事よ。森の洋館の騒ぎの原因を突き止めにきたんだから」
「さっきのポケモンたちは違うよな。オレたち以外の人間もいなかったし」
洋館に入ってから人っ子一人見当たらない。ゴーストポケモンはいても人間の幽霊はいないみたい。……ふう。最近噂になっている怪しい集団とは無関係みたいね。
「着いたぜ」
個室が並んだ廊下を出て階段を下った所には玄関があった。両脇にある2つの階段を無視して玄関から真正面に進めばドアがある。ドアの左前には銀のポケモンの銅像がある。
「この先にはなにがあんだろうな」
「ダイニングルームじゃない?」
ジュンがドアを開くとビンゴ!そこには長いテーブルと大量の椅子が置いてあった。こんなに長いテーブルを囲って食事をしていただなんてセレブね。
「……?」
だけどおかしい。なぜこの部屋はこんなに明るいんだろう。まるでこの部屋だけ電気が通っているようだった。テーブルの上にはいくつものろうそく立てが置いてあるけどどのろうそくも火はついていない。
―ウィーーン。
「「!?」」
機械的な音がした。アタシとジュンが音のするほうを見たときにはロズレイドとナエトルは身構えていた。なにか得体の知れないものが来る。そんな予感がした。ダイニングルームの横にある壁の向こう側から出てきたのは赤い芝刈り機だった。
「な、なんで芝刈り機が勝手に……」
「知らねーよ」
―ブルルンッ。
「「!?」」
―ブルルルルルルルルッ!
芝刈り機はスイッチがオンになったように音を立てアタシたちに向かって爆走してきた。
「キャーーーー!!」
「おわーーーっ!!」
アタシたちは慌てて逃げた。戦闘体勢に入っていたロズレイドとナエトルまで逃げ出した。だって芝刈り機よ芝刈り機!あんなのに体当たりされたら草ポケモンたちはバラバラにされるしアタシとジュンも傷だらけに…………てキャーーー!!想像するだけで恐ろしいわ!アタシたち人間も五体満足でいられるかどうかもわからない。バラバラ死体は免れても指の2、3本失いかねないわ!
「なんだよあれ!?ポケモンか?」
「知らないわよーー!」
せっかく洋館が恐くなくなったのに恐怖が戻ってきた。恐い……逃げたい……!アタシはダイニングルームのドアノブに手をかけた。右へ左へとノブを回したけど開かない……!
「駄目!開かないわ!」
「なんだってんだよー!」
―ブルルルルルッ。
芝刈り機はアタシたちを追いかけるのをやめない。アタシたちはテーブルの周りを何回も何回も周った。
「ちきしょー!ポケモンチャンピオンになる男をなめるな!『はっぱカッター』!」
「ルーー!」
ナエトルは頭を振ってはっぱを飛ばした。頭の上についた枝からははっぱが生えては飛ばされた。こうしちゃいられない。アタシも頑張らなくちゃ!
「ロズレイド!『マジカルリーフ』!」
「ロズレイッ!」
ロズレイドは両手を構えてカラフルなはっぱを何枚も発射した。『マジカルリーフ』は『はっぱカッター』より少し威力が高い技。『はっぱカッター』が威力55で急所に当たりやすい技なら『マジカルリーフ』は威力60で必ず命中する技。相手を仕留めるときや確実にダメージを与えるときに役に立つ技だ。芝刈り機に『はっぱカッター』と『マジカルリーフ』が届く寸前芝刈り機に異変が起きた。赤かった芝刈り機がオレンジ色に染まり黄緑色の光を纏った。車輪の間にある装甲に黄緑色の目とギザギザの歯が現れた。ええっ!?
「キヒヒ♪」
「ミギャーー!!」
芝刈り機が笑った次の瞬間、芝刈り機の刃のついている部分から大量のはっぱが出てきた。ナエトルとロズレイドが放ったはっぱより10倍……いや20倍の量のはっぱがじゃんじゃんじゃん吹き荒れた。この技はまさか……!
「テーブルの下に隠れて!」
「えっ?」
「ロズッ!」
「ルー!?」
アタシはジュンを引っぱりロズレイドはナエトルをテーブルの下へ押し込めた。テーブルクロスの敷かれたテーブルの下だと様子は見えないけど音でわかる。大量のはっぱがダイニングルーム内を舞いなにかにぶつかったり刺さったりする音が聞こえた。倒れるろうそく立て。割れる食器。傷つく椅子。刺される壁。こんなに大量のはっぱを一度に噴出して攻撃する技なんて一つしかない。
草タイプの技で2番目に強い技…………『リーフストーム』!その威力は140。命中率は90%。周りを椅子で覆われたテーブルの下に隠れていてもはっぱが隙間をくぐりテーブルクロスを引き裂いて何十枚と舞い込んでくる。テーブルの表面を貫いてとがったはっぱが食い込むのを見てゾッとした。体中に痛みが走った気がするけどどこを切られたのかわからない。
「……おさまったのか?」
音が静まりはっぱの嵐が止んだことを確認するようにジュンが話しかけてきた。だけどアタシはジュンの問いに答えず代わりにジュンを反対側に蹴飛ばした。
「おわっ!」
―バキャーーン!!
アタシの直感が当たった。さっきまでジュンがいた場所に芝刈り機が突っ込んできた。アタシは椅子をどけてテーブルの下を出た。
「そこから出て!」
テーブルの下に隠れている間冷静さを取り戻した。アタシは距離を取り芝刈り機をどうやっつけるか対策を練った。おそらくこの芝刈り機はポケモンだ。その外見からタイプはおそらく鋼・草。もし鋼と草の両方の属性を持つとしたらこいつの弱点は炎と地面。水タイプの技も効くかもしれない。
「最悪……」
アタシは草タイプ専門のトレーナーだ。草タイプの天敵の炎タイプも草タイプの格好の獲物となる地面ポケモンや水ポケモンを持っているはずがない。
「ジュン!そいつはおそらく鋼・草タイプのポケモンよ!炎か地面タイプの技を使えるポケモンは持っている?」
「ポニータなら!」
言うが早いがジュンの前に火の馬ポケモン、ポニータが現れた。しめた!鋼タイプと草タイプの共通の弱点である炎タイプなら相手に4倍のダメージを与えることができる。
「『火の粉』!」
「ヒヒーン!」
ポニータは燃えるたてがみを揺らしながら口から炎を吐いた。贅沢を言うともっと威力の高い『火炎放射』や『大文字』で攻めたいところだけどレベルが低いから仕方がない。おそらくジュンのポケモンはレベル20未満だわ。アタシのロズレイドはレベル22。残りの2匹のポケモンはレベル20。相手のレベルはわからない。たとえ同レベルでも強力な技を使うから油断できない。
ポニータが履いた火の玉が当たり芝刈り機は動きを止めた。えっ?そんなあっさり……。オレンジ色だった装甲は赤に戻り緑色の光も失われていた。
「やったー!オレたちの勝ちだー!」
「ブッヒヒーン!」
「ルー♪」
ジュンとポニータとナエトルは勝利の雄叫びを上げた。……おかしい。おかしすぎる。あんなにアタシたちをしつこく追い回した芝刈り機がそんな簡単にやられるはずがない。アタシたちの状況を把握しようと頭を回転させたらジュンがポケモンもろとも壁に押しやられた。彼らを襲ったのは大量の水。
「なんだってんだよー!……ってポニータ!?」
残念なことにポニータはびしょ濡れでぐったりしていた。自慢の炎のたてがみもコンロの弱火なみに頼りない。そのポニータは戦闘不能だわ。
アタシは水が飛んできた方向を見た。そこにはオレンジ色の洗濯機があった。コインランドリーで見かける丸い窓のついた洗濯機の上には角が生えている。虚ろに笑っている顔には見覚えがあった。
「さっきの芝刈り機……?」
芝刈り機をチラッと見たけど動く気配がない。アタシたちの前に新手の敵が現れた。
***
なにもかもメチャクチャだった。芝刈り機が襲ってきたと思ったら今度は洗濯機が動き出した。青く光る冷蔵庫の両脇からアルファベットの「A」の形をした光が手のように伸びている。片方の手に掴まれているのは本体と繋がっているホース。ホースからは水が音を立て床に落ちていた。
―ピチョン。ピチョン。
目の前で起きた光景を頭が受け付けない。さっきの技は水の量と威力から推測すると『ハイドロポンプ』。数年前新たな技が発見されるまで水タイプの技で最強と言われていた技。
「水タイプには草タイプ!ナエトル、『宿り木の種』!」
「ルー!」
ジュンはポニータをボールに戻すと再び戦闘モードに入った。切り替えが早い。アタシも見習わなくちゃ!おそらく鋼・水と思われるポケモンに草タイプの技が通じるかどうかわからないけど試してみなくちゃわからない。
「ロズレイド!『蔓の鞭』で拘束して!」
「ローッ!」
『宿り木の種』は急速に成長して洗濯機に絡みついた。それに続いてロズレイドの手から伸びた2本の蔓《つる》が洗濯機をぐるぐる巻きにした。洗濯機は手を動かしたり窓のついた扉を開けようとしたけど何重もの蔓に縛られているから動けない。やがて洗濯機は動くのをやめて白くなった。
「えっ?」
「なにっ!?」
芝刈り機と同じ。動きが止まると同時にオレンジ色から違う色に変わった。……おかしい。何かが変だ。何か大事なことを見逃している気がする。
―ゴォッ。
灼熱の光線がアタシの横を通った。アタシには当たらなかったけど熱光線は洗濯機を拘束し続けていたロズレイドに直撃した。
「ロズレイドオオオオオオ!!」
ロズレイドは黒焦げになりならがらも立っていた。蔓が焼けて己の体を支えるものがなくなったロズレイドは倒れた。音もほとんど立てなかった。
「よくもロズレイドをっ!」
熱い液体が頬を伝った。ロズレイドはアタシと一番仲がよく一番頼りになるポケモンだった。それがあっさり一撃でやられたのだ。悲しさより怒りと悔しさが強かった。アタシは熱光線……『オーバーヒート』を放ったポケモンを睨みつけた。
攻撃してきたのはオーブントースター……もしくは電子レンジ。角が生えた電子レンジは赤く光りカニのようなハサミが2本飛び出ていた。電子レンジは挑発するようにハサミを鳴らした。
でも次のポケモンを出してもさっきのように燃やされるかもしれない。ロズレイドを戻してはみたけど残りのボールに手を付けられなかった。
「火には水!出番だ、キャモメ!」
「キュエーッ!」
アタシが迷っている間にジュンは新たなポケモンを出した。ポニータが戦闘不能になったのにその顔には笑みを浮かべていた。
「芝刈り機に洗濯機に電子レンジか……おもしれー!おまえを捕獲して母ちゃんにプレゼントしてやるぜ!」
先程の怒りも悲しみも失せてアタシはツッコミを入れた。
「いや、お母さんに迷惑だから」
電子レンジは先程にも増して赤くなった。また『オーバーヒート』が来る……!
「避けて!」
「おう!」
電子レンジは扉を開けた。フルパワーで放たれる『オーバーヒート』は反動で特殊攻撃が下がるけど最初の2発は並みの技を一蹴する。キャモメはアタシたちの期待に応え体を回転させて『オーバーヒート』を避けた。
「『水鉄砲』!」
洗濯機が放った『ハイドロポンプ』と比べて弱々しいけど仕方がない。『水鉄砲』は電子レンジの顔に命中した。水を浴びて壊れたのか電子レンジから小さな火花が出た。
「やったか!?」
「いえ……まだよ!チェリンボ!」
「チェリー!」
不揃いの実がついた通常のさくらんぼより100倍大きいさくらんぼポケモン―チェリンボが高い声で鳴いた。
あのポケモンの行動が大体わかってきた。電気製品が次々に動いてくるところを見るとまだ別の電気製品が動き出すに違いない。他にどんな電化製品があるかわからないけどどの家にもある電気製品といえば冷蔵庫だ。アタシは電子レンジが現れた場所へチェリンボと一緒に走った。壁で区切られた部屋はキッチンだった。そしてそこに必ずある電気製品といえば……。
「チェリンボ!あの冷蔵庫に『種マシンガン』!」
「リーーッ!」
地についた大きな赤い実の口から黄色い種がいくつも飛んだ。高速でいくつもの種を飛ばす様子はまさにマシンガン。灰色の冷蔵庫はオレンジ色に変わった瞬間『種マシンガン』が炸裂した。
「ビビビビッ!?」
冷蔵庫は一瞬怯んだ。攻撃される前に仕掛けたけど仕留めるには弱い攻撃だった。案の定オレンジ色の冷蔵庫は扉を開き辺りの熱を奪い取った。
「チェリンボ避けて!」
急に部屋が冷え込んだ。大技が来る。アタシには当たるかもしれないけどチェリンボなら避けきれる。そう信じてチェリンボに避けるように指示した。だけどチェリンボはその場を動かず微かに光った。特殊防御を上げる『成長』だ。いくら特殊防御力を上げたって氷タイプの特殊攻撃技を耐えられるわけないのに!
「リイイイッ!」
―ピキキッ。
腕で顔を保護した。目をつぶったアタシに聞こえたのはチェリンボの叫び声と何かが氷る音。
「チェリンボ……!」
チェリンボは氷付けになっていた。チェリンボの後ろ以外の場所はカチンコチンに凍っていた。チェリンボ…………アタシを庇うためにわざと避けなかったんだ……!
「いやああああああああ!!チェリンボオオオ!!」
***
オレンジ色の3段重ねの冷蔵庫。上と下は引き出しで真ん中は2つのドアがついている。頭には今まで襲ってきた電気製品と同じように角がある。紫色に光る冷蔵庫には大きな鉄板のような手が2本生えていた。
「ビービビビビビビ!キヒヒ♪」
アタシは凍ったチェリンボを抱きしめた。冷蔵庫は笑ってる。アタシたちが困っているのを見て楽しんでいるんだ。最低なポケモン。
「どうした!ナタネ!」
「ピーーッ」
ジュンとキャモメが来る。駄目……!
「来ちゃ駄目!」
冷蔵庫は待ってくれずジュンたちに向かって吹雪が放たれた。
「おっと」
「ピーッ」
間一髪。キャモメとジュンはそれぞれ反対方向に避けた。ヒヤヒヤさせるわね。でも無事で良かった。
「ノーマル・飛行なら氷に弱いけど水・飛行なら氷タイプは弱点にならないぜ!『翼で打つ』!」
キャモメは右翼で冷蔵庫を打った。冷蔵庫もそこまで接近されるとは思わなかったみたいであたふたしてるうちにダメージを受けた。
「ビビッ……」
冷蔵庫は横に倒れて動かなくなった。光るのをやめ色も灰色に戻った。油断は禁物だ。アタシはチェリンボをボールに戻し気を引き締めた。
「気をつけて……まだやられていない。どこかに潜んでいるはず」
「ああ……」
「キュエー」
「ルー」
アタシたちは一箇所に集まり背中を合わせた。全方向を監視していたらどこからか電撃が来た。
「キュエエエエエッ!?」
「キャモメ!?」
「なっ!?」
水・飛行は草タイプも氷タイプも弱点じゃないけど電気タイプには4倍弱かった。次はどの電気製品が動いたの?それを確かめにキッチンを出た。電気製品を見る前に宙に浮く不思議な物体が目に入った。
「何あれ……?」
テーブルの真ん中にオレンジ色の2段重ねの球体が浮いていた。鏡餅を逆さにして角をつけた体は水色の光に包まれている。光から稲妻の形の腕が2本形成されていた。大きい円にはお馴染みの虚ろだけどはっきりした目があった。違う……このポケモンを包んでいる光はただの光じゃない。
アタシは洋館に入ってから起きた出来事を思い出した。ジュンの顔をすり抜けておどかしたゴース。念力でピアノを動かしていたムウマ。順番に動き出す電気製品。電気タイプの攻撃でやられたジュンのキャモメ。これらの辻褄《つじつま》を合わせてアタシは一つの結論に辿り着いた。
「わかった!こいつの正体はプラズマよ!」
「ええっ!?」
「ルー?」
たぶんこのポケモンのタイプは電気・ゴースト。電気製品に入っていたから鋼タイプと思い込んでしまった。迂闊だった。複数のポケモンが襲い掛かってきたと思ったけど全部この1匹のポケモンの仕業だったのね!
「キヒヒヒ♪」
ポケモンは笑うと扇風機まで一直線に飛んだ。まずい……!
「また大技が来る!」
「えっ!?」
アタシはジュンを引っぱって芝刈り機が出てきた部屋に入った。最後にナエトルが部屋に入ったときには風を切る音が聞こえた。
「なんだってんだよー!」
アタシはそっとダイニングルームを覗いた。風の斬撃波が部屋の中心からあちこちに放たれていた。
「エアスラッシュよ。これまでの技より威力は劣るけどそれでも十分危険な技だわ」
飛行タイプ特殊技で2番目に強い技、『エアスラッシュ』。威力75・命中率95。おまけに3割の確立で相手を怯ませる効果つき。
「あなた、残りのポケモンは?」
「ナエトルだけだ」
「ルー」
「アタシもナエトルしか残ってないわ」
アタシは重い息を吐いた。手負いのナエトルと無傷のナエトル。だけどあのポケモンに挑むのは無茶だ。草・水・炎・氷・飛行タイプの技を使えるポケモンに草タイプで挑むだなんて自殺しにいくようなものだ。
「どうすればいいんだよ……」
どうすればいいかわからず部屋を見渡した。床には箱が3個、ガーデニングや庭を整備する道具が入った棚が2つ。そして棚の向こうにドアがあった。ドア……。洋館に入ってからずいぶん外に出てない。お化けだらけの建物より虫ポケモンが出てくる外が急に恋しくなった。
「ジュン。あそこにあるドアが見える?」
「ん?……ああ」
ジュンはアタシに指摘されて初めてドアの存在に気づいた。言うことを聞いてくれればいいけど……。
「あそこのドアは裏庭に通じていると思うの。アタシたちのポケモンじゃあのデタラメなポケモンに敵わない。ここは一時撤退しましょ」
「逃げるのかよ!」
「いったん町へ戻るだけよ!」
声を荒げてしまった。反対するとは思ったけどここは説得しなければならない。
「町へ戻って応援を呼ぶわ。ポケモン理事会に報告すればアタシより強いジムリーダーが来てくれるはず。アタシは責任を持って彼女をここまで案内する。それでいいじゃない!」
「ふざけんな!オレたちやられっぱなしじゃねーか!」
ああん、もう!ここまで聞き分けの悪い子だとは思わなかったわ!早くここから出ないとまたあのポケモンが襲ってくる。風の音はまだ続いてるけどそれが止むのも時間の問題だ。この子を置いてアタシだけ逃げるなんてことできるわけないのに!
「どれくらい時間がかかるんだよ!」
「今夜はもう無理ね。報告すれば明日か明後日にはメリッサさんが……」
「そうやって逃げるのかよ!しっかりしろ!おまえはジムリーダーなんだろ?ハクタイシティで一番強いトレーナーだろ?みんながおまえを頼りにしているのに逃げてどうするんだよ!」
「アタシは逃げるつもりなんか……」
冷静に今の状況を判断して撤退を決めたつもりだった。アタシは目の前の状況から逃げようとしているだけなの……?
「なんでおまえジムリーダーになったんだよ?森の洋館に入るのもいやがってたじゃん。洋館に入るのがいやなら最初からジムリーダーになるな!」
胸が痛んだ。心に電撃を喰らったみたいだった。胸を押さえて両目を閉じた。アタシは…………アタシは…………草ポケモンが大好きで……草ポケモンを馬鹿にする人が許せなくて……草ポケモンが強いことを証明したくてジムリーダーになったんだ。親友のモミだけ味方でいてくれて………2人で特訓して………ようやく2年前ジムリーダーになれたんだ。
最初は頼りないって周りから心配されたけど段々実力が認められて………アタシと草ポケモンを馬鹿にする人はいつの間にかいなくなっていった。ジムリーダーになってアタシと草ポケモンを周囲に認めさせるという夢を叶えて………今度は新しい目標が出来て……。…………駄目だ。こんなかっこわるい姿、モミにもヒョウタさんにも見せたくない。2人とも優しいから慰めてくれるかもしれないけどその優しさが逆に辛い。慰められる日はもう終わったの。これからは前を向くんだ。アタシは重いまぶたを一気に開いた。
「……ごめん!弱音吐いて!アタシは逃げないわ……戦う!」
「そうこなくっちゃ!」
「ルー!」
ジュンはガッツポーズをした。アタシは笑うと道具が入っている棚を見た。棚から剥きだしになったガーデニング用の土が目に入る。アタシは腰につけていたポーチを開けた。右手にはアーミーナイフ、左手には技マシンを持った。
「あそこの袋に入っている土をこっちに持ってきて!」
「りょーかい!」
「ルー!」
ジュンとナエトルが土を引きずっている間アタシは自分のナエトルを出した。
「これ、あなたにあげる」
「へ?」
アタシは技マシン32をケースから出してジュンに渡した。
「あなたのナエトルに覚えさせて。中身は……」
アタシはジュンと2匹のナエトルに作戦を説明した。作戦を説明し終わった時ちょうど風の音が止んだ。それを合図にアタシは自分のナエトルを戻しジュンとジュンのナエトルが飛び出した。反撃開始よ!
***
「オレはこっちだこのヤロー!」
「ルー!」
壁の向こうからジュンとナエトルの威勢の良い声が聞こえた。作戦が始まった。もう逃げることはできない。
「キヒ?……ビビーッ!」
「『からにこもる』!」
電気が弾ける音がした。ナエトルとプラズマポケモンの戦いが始まったんだ。
「『すいとる』んだ!」
「ルー!」
「ビイイイィッ!」
壁から顔を半分だけ出した。ジュンが戦っている。上手くプラズマポケモンの気をひいてるみたい。運が良いことにプラズマポケモンはまだ電気製品に入っていない。アタシたちを追い詰めたからきっと油断しているんだ。
アタシは部屋からこっそり出た。土入りの袋を引きずりながら。袋が床にこすれてズズズと音を立てた。体から出る汗の量が増えていく。プラズマポケモンがいつアタシに気づくか気が気でなかった。ジュンは作戦通り上手くプラズマポケモンをテーブルの向こうに誘導していた。アタシがいる方向には背を向けているしジュンとナエトルと対峙しているからしばらくバレないとは思うけど……。アタシはバトルの様子をチラ見した。プラズマポケモンはナエトルにHPを吸い取られて苦しんでいる。
「…………」
ジュンと目が合った。その目はアタシに「頼むぞ」と言っている気がした。アタシはコクンと頷くとシャベルで土をすくった。植物関係の科学には疎《うと》いけどプラズマは電気が中性になっている状態というのは覚えている。プラスだろうがマイナスだろうが中性だろうが電気は電気。もしかしたら電気製品を土まみれにすればいくらプラズマポケモンでも電気製品に入りにくくなるかもしれない。
そこでアタシは作戦を思いついた。どちらかがプラズマポケモンと戦っている間にもう片方が電気製品を使えないようにする。戦う役はジュンが買って出た。本来はアタシが戦ってもよかったけどあえてジュンに譲った。ジュンのナエトルはダメージを受けていたから相手が油断すると踏んだからだ。アタシは一番近くにあった電気製品にありったけの土を被せた。まずは洗濯機から……。
「ビビーッン♪」
「わっ!?」
「ルッ!?」
ジュンとナエトルが驚く声が聞こえた。たぶんプラズマポケモンが『驚かす』を使ったんだ。『驚かす』はイタズラ好きが多いゴーストポケモンがよく使うゴーストタイプの技。威力は『体当たり』より低いけどたまに相手を怯ませることがある。
「ちいっ……!」
ジュンは舌打ちした。ナエトルが怯んだみたい。ナエトルは動きが遅いから大抵の場合先手を取られてしまう。2匹の戦闘が気になるけどアタシはジュンを信じている。少しだけ軽くなった袋を持って芝刈り機のほうへ移動した。
「ビビーッ!」
芝刈り機に適当に土を被せ終わったら再び電気の音が聞こえた。プラズマポケモンの『電気ショック』がナエトルに直撃したんだ。だけどナエトルはまだやられない。草ポケモンが電気を通しにくいのが幸いした。
「がんばれナエトル!」
「ル~……」
ジュン……ナエトル……がんばって……!アタシは体を屈《かが》んでテーブルに近づいた。テーブルとイスが死角になってアタシを隠してくれる。テーブルの上に置いてあった扇風機に土を被せた。
「キヒヒ……キーヒヒ、キヒーヒ♪」
プラズマポケモンが笑った。その笑い方に思わず歯を食いしばる。この笑い方には聞き覚えがある。アタシと草ポケモンを馬鹿にしていたころと同じ笑い方だ。くやしい…………でも耐えなければいけない。電気製品はまだ3個残っている。アタシは笑い声に紛れて扇風機に土をかけた。これで残り2個……。
「こうなったら……『影分身』!!」
「ルルー!」
出た!アタシたちの切り札、『影分身』!ナエトルは遅いから相手の攻撃を避けるのが基本苦手だ。それをカバーするために使った技マシンの中身が『影分身』。単調な動きを素早く繰り返すことで分身を作り、相手を惑わせ回避率を上げる技だ。素早さが低いナエトルでも狭い範囲なら短く簡単な動きを早く繰り返すことくらいできる。
「ビ……ビビ?」
今まで優位に立っていたプラズマポケモンは戸惑った。なにせ分身とはいえナエトルがたくさんいるんだから。こんなにたくさんナエトルがいればアタシのナエトルを出してもバレない。最後の手持ちポケモンが入っているボールを開けた。アタシのナエトルは鳴き声を出すかわりに頷き、そそくさと『宿り木の種』を発射した。種は扇風機に絡みつき扇風機は蔓でやがて見えなくなった。あらかじめみんなに作戦を説明するときにアタシのナエトルに指示は出していた。ナエトルは芝刈り機と洗濯機にも種を跳ばした。電気製品に土を被せて更に蔓でグルグル巻きにしちゃえばいくらプラズマポケモンといえども入れないはずだ。
「『はっぱカッター』!」
「ルーッ!」
ナエトルとあちこちにいるナエトルの分身が一斉にはっぱをクナイのように投げた。どれが本物の『はっぱカッター』かわからず戸惑うプラズマポケモン。今までの憂さ晴らしも兼ねているのかジュンと彼のナエトルはノリノリだった。アタシも今までのお返しとしてアタシのナエトルにも『はっぱカッター』を打たせた。
「ビ~?ビビ~ッ!」
プラズマポケモンの叫び声が聞こえる。ざまあ見なさい。アタシたちを苦しませた罰よ。アタシは声を出さずに笑いながら四つん這いになって前へ進んだ。床に横たわる電子レンジまであと10歩……8歩……6歩……。あと4歩というところで事態は発生した。プラズマポケモンがテーブルを飛び越えてきたのだ。
***
やばい……やばいやばいやばいっ!アタシは命がけで慣れない4本足で走った。恐怖で体が熱い。テーブルを抜けると左手と右足を使って強引に体を右にねじりこんだ。プラズマポケモンに見られてないかしら?
「ビ?」
プラズマポケモンの声がアタシのいる方向へ発せられた気がした。その声を聞いて肩が勝手に上がった。震える手でシャベルを握り、襲ってきたらどうしようと泣きたくなった。
「よそ見すんな!『はっぱカッター』はまだ続いてるんだぞ!」
「ルー!」
「ビッ……!」
ジュンの言っていたことは正しかった。『リーフストーム』ほどではないとはいえ無数のはっぱはブーメランのように部屋中を飛び回りプラズマポケモンを狙っていた。
ふう。よかった。アタシの体は安心して再び呼吸を始めた。アタシのナエトルがマントをひっぱった。分身に紛れて来てくれたんだ。
アタシはテーブルの角に隠れたまま電子レンジを封印した。今までしてきたことと同じだ。機械に土を被せて『宿り木の種』で拘束する。テーブルの横から土が飛んでくるなんて変な光景かもしれないけど幸いプラズマポケモンには後ろを振り向く余裕はなかった。だいぶ軽くなった土入りの袋を両手で抱えて自分のナエトルと顔を合わせた。あとは冷蔵庫を使えなくするだけだ。プラズマポケモンがジュンとジュンのナエトルしか見ていないことを確認してキッチンへ思い切って走った。
「ビ~……ビビ!」
走っている最中にプラズマポケモンが唸った。異常に気づいたのかもしれないけどアタシにとってキッチンに行くことが先決だった。振り向いていられない。キッチンに入った直後プラズマポケモンの悲痛な叫びが聞こえた。
「ビーーーーーー!?ビビビッ!!」
「かかったな!」
「ルー!」
ジュンたちの姿が見えないけどアタシにはわかった。プラズマポケモンは電気製品の中に入って散々アタシたちを苦しめてきた。芝刈り機の『リーフストーム』、洗濯機の『ハイドロポンプ』、電子レンジの『オーバーヒート』、冷蔵庫の『吹雪』、扇風機の『エアスラッシュ』、そして元々使える『電気ショック』…………6つのタイプを使い分けてアタシたちを追い詰めたプラズマポケモンは調子に乗っていた。アタシたちは取るに取らない相手だと。やられかけているアタシたちをやっつけるのに電気製品に入り込む必要はないと思っていたけど形勢逆転!アタシたちの作戦によって今度はプラズマポケモンのほうが追い詰められた。慌てて電気製品に入ろうとしたけど周りにある電気製品は蔓に覆われていた。パニックになっても仕方がないと思う。もっとも、自業自得だけどね。
「ビーー!ビビビーッ!」
「しまった!ナタネー!!」
いよいろ袋の中身を冷蔵庫にぶちまけようとしていたときにプラズマポケモンが血相を変えてキッチンに入ってきた。だけどアタシは自分でも驚くほどこの状況を冷静に対応した。袋の矛先を冷蔵庫からプラズマポケモンに変え土をかけた。
「喰らいなさいっ!」
「ビーーーッ!?」
プラズマポケモンは攻撃の命中率が下がる『砂かけ』ならぬ『土かけ』を喰らい怯んだ。袋にまだ土が残っていることを重さで実感して残りの土を冷蔵庫目掛けて投げた。
「『宿り木の種』!」
「るう!」
アタシのナエトルはその指示を待っていたかのように返事をした。宿り木は急速成長を遂げ冷蔵庫はミイラのように蔓で覆われた。
「ビイイイイイイイイッ!!」
今まで上げた声の中で一番大きかった。だけど同情の余地はなかった。それにプラズマポケモンは怒ってアタシのナエトルに電撃を放ってきた。電撃を浴びながらもナエトルは踏んばった。アタシを信頼してくれる証拠。その信頼にアタシも応えなければいけない。
「『しびれ粉』!」
「るっ!」
ナエトルは深呼吸すると黄色い粉を息に乗せて吐いた。プラズマポケモンは冷静さを失っていたのか命中率があまり高くない『しびれ粉』を避けられなかった。
「ビ~~!……ビッ、ビッ」
状態異常を起こす粉を吸い込みプラズマポケモンは咳き込んだ。時は満ちた……!
「ジュン!今よ!」
「行けー!モンスターボール!」
「ルーー!」
「ビーーッ!?」
―コンッ…………カッ。
赤白のボールはその口を開き無慈悲にもイタズラ好きなプラズマ生命体を吸い込んだ。ボールは揺れて、揺れて、揺れては揺れ、ついに動かなくなった。
―フォン。
ボールがポケモンを完全に捕らえたことを知りアタシは安堵の息をもらした。やった……捕獲成功……。
「……ぃよっしゃあああ!ヒャッハー!ヒュー♪オレすげー!」
「ルー!ルー!」
肩がとても軽くなった。無性に笑いたくなった。うれしかった。森の洋館に入ってから起きた出来事とアタシの反応を思い出したら我ながら馬鹿馬鹿しく思えて気づけば声に出して笑っていた。
「アハッ。アハハハハッ!」
「るう。るるるるるっ!」
「なんだよ?急に笑って」
自分でもわからない。安心してなんだか笑いたくなった。
「いやっ……アハハハ!なんか……アハハッ!変な気分」
「るっるっるっ!」
プラズマポケモンにはかなり手こずった。大事な仲間のロズレイドとチェリンボがやられたし大変だった。だけど全てが終わった今思い返してむるとこのバトルはけっこう楽しかった。ジュンのポニータとキャモメもやられたのに。
「なんだよ……まあ、いいや。事件も解決したし、ハクタイシティに戻ろうぜ」
ジュンはナエトルに労《ねぎら》いの言葉を掛けるとボールに戻した。アタシもナエトルをボールに戻そうとしたけどナエトルが麻痺してることに気づいた。おそらく『しびれ粉』を使う前に喰らった電撃にやられたのね。『電気ショック』か『電磁波』かしら。
「おつかれ、ナエトル」
「るう……」
ナエトルを戻してからふと思った。ナエトルにニックネームをつけようかな?そうじゃないとジュンのナエトルと被っちゃう。新入りにしてはナエトルはよく頑張ったもの。
「おーい。おいてくぞー!」
「今行くー!」
キッチンを出ようとしたらプラスチックのカバーで包装された羊羹《ようかん》を見つけた。なんでこんなところに置いてあるんだろう?疑問に思ったけどアタシは羊羹をポケットに入れた。理由?特にないわ。ただ記念に持って帰ろうかなって思っただけ。あとでナエトルにあげようかな。
「くう~……オレ超めずらしいポケモンをゲットしちまったぜ!ヒカリに自慢しよっと♪」
「アハハ。きっと褒めてくれるわよ」
「だろ?へへっ!」
出入り口まで歩きながらアタシたちは笑った。アタシもモミやヒョウタさんに森の洋館で起こったことを話そう。きっと2人とも褒めてくれる。「成長したね」って。ジュンと二手に分かれて重いドアを開けた。空は暗かったけど心はとても明るかった。