ポケモン小説『白黒遊戯』第15話 当たって砕けろ
さわやかな天気だ。今日も空は青い。だが雨が降ろうが雪が降ろうが仕事はある。こんなに良い天気でも、ポッド・コーン・デントは外へ出ることを許されない。サンヨウジム兼レストランの奥で3人は休憩していた。彼らはポケモンバトルで強いだけでなく、紳士的ウェイターとして有名だ。しかも3人とも美形なのでサンヨウシティで彼らを知らない者はいない。彼らは休憩時間だからといって外へ出るわけにはいかない。若い女性に囲まれたちまち帰れなくなってしまう。しかし彼らはモテることまったく鼻にかけない。そのことがますます人々に好感を抱かせる。だがポッドのファンである女性たちの間で波紋が広がっている。
「ノエル~」
ポッドは椅子に座り、テーブルの上に左耳を押し付けている。腕はだらりとぶらさがっている。だるい声で好きな女の名前を呼ぶ彼をファンが見たらどう思うのだろうか。
「ああ、ノエル……お前がいないと元気が出ない。オレはお前なしじゃ生きていけない。会いたい……会いに行きたい……会いに来てくれええええええええええええええええええ!」
だらりとしていた腕は握り拳になっていた。ぼやきはいつのまにか叫びへと変わった。デントは何事もなかったようにテーブルを拭く。花瓶の水を入れ換え終わったコーンは冷静にツッコミを入れた。
「充分元気じゃないですか」
デントもコーンに加勢する。
「…………ちゃんと生きてるよ」
「昼食もしっかり完食したでしょう?」
「…………おかわりしなかったのは意外だったけど」
ポッドは熱い性格のせいか体の燃費が激しい。今まで1回の食事で三人前を食べていたのに、ノエルと会ってからは一人前しか食べない。
「気持ちの問題なんだよ~」
ポッドはため息をついた。目も唇もきゅっと閉じている。
「ノエルなにしてるかな~」
「もうシッポウシティにいてもおかしくありません」
「……今頃ジム戦でもしてるんじゃない?」
コーンは頭をひねった。どうすればポッドが熱心に働くか悩んでいる。ポッドは恋わずらいで仕事に支障が出始めている。一方デントは別のことを考えていた。
「…………彼女の戦い方…………強引だよね」
デントはテーブルを拭く手を止める。彼のつぶやきに、ポッドとデントも彼女のバトルを思い出す。
「そこがいいんだよ。攻めて攻めて攻めまくる。オレのスタイルと同じ。そんなオレたちの相性は最高!きっと夜も強いに違いない……!」
不純なことを考えポッドは顔をほころばせる。コーンはポッドを無視して意見を述べる。
「相性の不利を打ち破った点は評価しますが……ポケモンに負担をかけすぎですね。あの戦い方がはたしてアロエさんに通じるかどうか……」
「…………攻めるばかりの戦法はポケモンリーグには通用しない、ということ?」
「そういうことです」
ポッドはノエルのことを想像しているのか、目の前に誰もいないのに腕を回した。そして唇を突き出す。彼女を抱きしめてキスをしているつもりなのだろう。コーンとデントは引き続き彼女のことを話す。
「…………でもポケモンとの絆は本物だよね。…………ツタージャが『グラスミキサー』を使うとき青く光ってなかった?あれって技の効果かな。気のせいかノエルも光ってるように見えたよ」
「えっ?」
コーンは目を丸くした。ポッドも我に返った。
「デントもですか!?コーンにも彼女が光っているように見えました」
「あれ?お前らも?オレも輝いてるな~って思ったけど……」
3人は顔を見合わせる。デントは首をかしげた。
「…………以心伝心?」
***
ノエル・ピースメーカーは敗北を知らない。初めてポケモンを手に入れた日はバトルした。しかし部屋で行ったバトルはごっこ遊びのようなものだ。チェレンのポカブはノエルのツタージャを圧倒したが、ノエルは瀕死になる前にバトルを止めた。ノエルのツタージャがベルのミジュマルと戦ったときも同じだ。本気のバトルではなかった。旅に出てからノエルとツタージャは何人かのトレーナーと野生ポケモンと戦った。
「いっけえええ!ツタージャあああ!」
「タジャアアア!」
『体当たり』『つるの鞭』『巻きつく』『グラスミキサー』……ノエルは補助形の技はほとんど使わない。攻めて攻めて攻めまくった。そして勝ち続けた。炎タイプのバオップにも勝った。ジムリーダーであるポッドのポケモンに勝ったことで、ノエルとツタージャはますます自信をつける。いつのまにか錯覚していた。自分たちは無敵だと……。
「ハーデリア、『突進』!」
「よけて『つるの鞭』!」
「ワフッ!」
ジムリーダーのアロエは忠犬に最後の指示を出す。しかしツタージャは弱ったハーデリアを余裕でかわす。ツタージャは相手のポケモンを安全な場所から止めを刺した。
「やったー♪」
「ツター♪」
「リュー♪」
無邪気にバンザイをするノエルとツタージャ。見ていただけのモグリューも両手をあげて喜んでいた。アロエは自分のポケモンがやられても堂々としている。
「やるねえ……。でも喜ぶにはまだ早いよ!」
そして2匹目のポケモンの最初の一撃で、ツタージャは戦闘不能になった。
***
さかのぼること1時間。ノエルは本の山を前に苦悩していた。
「や~~ん!勉強嫌~~い!」
そこは博物館の奥にある閲覧室。2番目のジムリーダーに挑むべく来たノエルに難関が待ち受けていた。なんでもこの部屋のどこかにジムリーダーがいる部屋へ通じる扉があるらしい。ところが問題を解かないと扉の場所はわからない。しかも問題は複数あり、本の中に別々に入っているらしい。
「こんなことならNかチェレンを連れてくればよかった~」
ノエルは引き返すことも考えたがプライドが許さない。しかたなくノエルは大嫌いな本と嫌々格闘する。
「ツタージャ!モグリュー!……なんでもいいから本持ってきて!片っ端から調べるわよ!!」
猫の手も借りたいノエルは仲間であるポケモンを頼る。しかしポケモンは字を読めない。絵と自分の好みで決めたのかツタージャは植物の本、モグリューは鉱物の本ばかり持ってくる。ようやく自力で見つけた問題用紙をノエルは読み上げた。
「なになに……『体内で炎が燃え上がり頭から煙を出して走る。これはなんでしょう?』」
「ツター……」
ツタージャはぼんやり考える。身近な存在だったせいか、研究所で一緒に時間を過ごしたポカブのことを思い出す。地下水脈の穴で共闘したが、今頃どうしているのだろう。チェレンのボールに入っているのだろうか。
ノエルの大きな声でツタージャの考えはストップした。
「わかった!『怒ったときのチェレン』!」
ツタージャと周りにいるポケモントレーナーはこけた。モグリューはただ1匹「なるほど!」と手を叩く。同時刻、シッポウシティに足を踏み入れたチェレンはくしゃみをした。…………ちなみに正しい答えは『蒸気機関車』である。
それでもノエルはなんとか問題を解き、本棚の下にある隠し扉を見つけた。出入りが大変だとぼやきながらノエルはわくわくする。まるで秘密基地に入る気分だ。ノエルたちは木で造られた簡素な階段を下りていく。地下にある部屋はいかにも学者らしかった。2つのガラスケースの後ろにはバトルフィールド。その奥には本棚が4つ、机が1つ。明るすぎず暗すぎない空間だ。資料が置かれた机でジムリーダーは本を読んでいる。
「……いらっしゃい!シッポウ博物館の館長にしてシッポウジムのジムリーダー。それがこのあたし、アロエだよ!」
女性の声だ。遠くにいるのに声ははっきりと聞こえる。本を読んでいた人物が顔を上げた。黒い肌にボリュームのある髪。ヘアバンドとブラウスのリボンが唯一の飾りだがオシャレだ。声も顔も腕も肝っ玉お母さんという表現がピッタリ。アロエは強気な笑顔で迎え、立ち上がる。
「アンタ、名前は?」
大柄のアロエに圧倒されつつ、ノエルは名乗った。
「あたしはノエル。ノエル・ピースメーカー!」
「……“ピースメーカー”?」
アロエの表情が変わる。ノエルをつま先から頭のてっぺんまでじろじろと見る。女性にこんなふうに見られるのは初めてだ。ノエルは学校で服装の審査を受けている錯覚がした。
「両親の職業は?」
「わかりません。あたし、孤児なので……」
孤児という言葉を聞いてアロエは罰が悪そうな顔をする。
「辛いことを訊いたね。すまない。……気を取り直して、さあて挑戦者さん。愛情込めて育てたポケモンで、どんな戦い方をするのか研究させてもらうよ!」
そしてアロエは黒い毛が特徴的な忠犬ポケモン、ハーデリアを出した。ハーデリアは程なく倒されるが、ツタージャも跡を追うように倒れてしまった。
***
無敵など所詮幻想だったのだ。今までの戦いはただ運がよかっただけ。ツタージャは細長いポケモンに叩かれただけで倒れた。動かなくなったツタージャ。立ちつくすノエル。アロエと2匹目のポケモンは対戦相手を静かに見守っていた。呆けていたノエルは乾いた笑みを浮かべる。
「あ……あははっ。ツタージャったらいつまで寝てるの?早く起きてよ……」
だがツタージャは動かない。再び静寂が訪れる。ノエルの脚が震えはじめる。ツタージャが負けたことを認めたくなくて、それでも確かめるため駆け寄った。
「ツタージャっ!?」
バトルフィールドに横たわるツタージャをノエルは抱きかかえる。
ツタージャは温かい。少なくとも死んではいないようだ。ツタージャがうっすらと目を開く。
「よかった……ちゃんと生きて……」
「ツタ……タ」
ツタージャは首からつるを伸ばすが、ノエルの顔に触れる前に力尽きた。中途半端に伸ばしたつるがだらりと垂れる。それを見てノエルは真っ青になった。
「なんだい?自分のポケモンが瀕死になるのは初めてかい?」
アロエの声が聞こえる。だがノエルはツタージャしか見ていない。
「さっきアタシのハーデリアがツタージャに噛みついただろう?あれはただの『噛みつく』じゃない。『氷の牙』だったのさ。草タイプにとっては一撃でもそうとう痛かったはずだよ。でもアンタはそれに気づかずバトルを続行した。だからミルホッグに負けたのさ。『敵討ち』という技でね」
ノエルはキッとアロエを睨む。
「そう睨まないでおくれ。アンタだって今まで何匹ものポケモンを倒してきたんだろう?倒されたポケモンやトレーナーの気持ちを考えたことがあるかい?」
「うっ……」
ノエルはここ数日の行いを思い出す。勝ったことに喜んでばかりで、負けた者の気持ちを考えていなかった。
「で、でも……ほとんどのバトルでは相手が瀕死になる前にやめてたもん!」
それは事実だった。Nとポッド以外のバトルでは、ノエルは勝敗がわかった時点でバトルをやめている。トレーナーのポケモンだろうが野生のポケモンだろうがそれは同じだ。
「へえ~。優しいんだね」
アロエは感心するが、すぐに険しい表情に戻る。
「でもごっこ遊びはもう終わりだよ。これが本物のポケモンバトルだ」
「……っ!」
ノエルは泣きたいのを堪えてツタージャをボールにしまう。モグリューは指示なしでバトルフィールドへ躍り出た。
「リューーー!!」
モグリューは右・左と正拳突きをする。ノエルとアロエはモグリューのやる気に驚いた。こんなに目つきがするどいモグリューを見るのはノエルにとっても初めてだった。
「モグリュー……?」
「ほ~う。そのモグリュー、アンタのことが大好きなんだね。アタシがアンタを悲しませたと怒っている。アンタとポケモンの絆は本物だよ。ただツタージャはアンタが好きすぎて無茶をした。そしてアンタはそれに気づかなかった……。それだけさ」
モグリューとミルホッグは構える。アロエは右腕をぐるぐる回した。
「おっと。おしゃべりがすぎたね。それじゃあ……バトル再開といこうか!」
モグリューとミルホッグが同時に飛ぶ。2匹のトレーナーも負けじと指示を出す。
「『睨みつける』!」
「『泥かけ』!」
すれ違いざまに互いの技が当たる。ミルホッグの眼光が体の模様と怖さと相まってモグリューの防御を下げる。しかしモグリューも負けずにミルホッグの胸にある顔のような模様に泥を投げつける。
「これ以上威嚇はさせない!」
「そうかい。『噛み砕く』!」
「『乱れひっかき』!」
ミルホッグはモグリューを掴み腰にかぶりつく。モグリューは痛みに顔を歪ませるが両手の爪で反撃した。
「リュ~!リュ~!」
ノエルは焦る。さっきから先手を取られてばかりいる。相手のほうが素早さが高い。こっちが体力を削られたぶん相手の体力を削っているが、このままではこっちが先にやられる。図鑑に表示される互いのHPを比較しながらノエルは考えた。どうすれば相手を倒せるか。しかしアロエが考える時間を与えてくれるはずがない。
「そろそろ休んだらどうだい?『催眠術』!」
「しまった!?」
至近距離での催眠術を避けられるはずがない。ミルホッグの大きなカラフルな目元を見てモグリューはくらっとする。
「……リュゥ?」
ミルホッグはモグリューを離した。自由になったモグリューはふらついた。やがてぺたりと座りこみ、いびきをかき始めた。敵を目前に眠る。その危険な行為にノエルはぞっとする。迫りくるモグリューの“瀕死”がノエルの体を冷やす。
「起きて!起きて!モグリュー!!」
「ゥー……ゥー……」
少女の叫びもむなしく、モグリューは規則正しい寝息をたてる。そこへ容赦なくミルホッグが攻撃をする。
「『蹴手繰(けたぐ)り』!」
「ミルホッ!」
「『体当たり』!」
「ミルッ!」
「『体当たり』!」
「ミルッ!」
無抵抗のモグリューが殴られるたびにノエルは叫んだ。
「やめて……やめてえええええええ!」
彼女は頭を抱え、泣きそうになっている。傷薬を使ってなんとか持ちこたえている状態だ。痛みと叫び声が効いたのか、ようやくモグリューが目を覚ます。
「リュ……ウ?」
「モグリュー……モグリュー……!」
「まったく。眠気覚ましも持ってないのかい?じゃあ降参して出直すかい?アタシは構わないよ」
目覚めたモグリューは状況を確認する。涙目のノエル。平然としているアロエとミルホッグ。モグリューはなんのために自分がバトルフィールドに出たか思い出し、胸が熱くなる。
「リューーー!」
「モグリュー!」
アロエはわずかに首を動かす。
「おや、どうやらアンタのモグリューはまだやる気みたいだね」
「!?モグリュー、待って……!」
モグリューは何も考えずにミルホッグに突っ込んだ。アロエは冷静にミルホッグに迎え撃つように言った。
「『噛み砕く』!」
「モグリューーーーーーー!!」
瀕死になったツタージャがノエルの頭にフラッシュバックする。残酷なことにノエルの体感時間が遅くなる。少しづつミルホッグの口が開いていく。モグリューの体の柔らかい部分を噛もうとしている。モグリューが爪を構えるがはたして間に合うのだろうか。
(モグリュー。あなたまでやられたら……あたし……あたし……)
立 ち 直 れ な い 。
そう思った直後、どこからか懐かしい声が聞こえてきた。
―その程度か、小娘!
***
矢車の森を歩いていた青年はふと振り返る。誰かの声が聞こえた気がした。何を言ったかはわからない。彼はただただシッポウシティを見つめていた。オタマロは足元をぴちぴち跳ねる。飛んでいたマメパトはNの肩に止まった。先程の声の持ち主はわからないが、なぜかNは彼女の名前を呼びたくなった。
「ノエル……?」
***
耳をつんざく音が鳴った。硬いものが金属にぶつかって割れる音だ。
「避けられないなら……受け止めればいいよね……」
ぼそりとノエルはつぶやいた。帽子のつばで彼女の口元しか見えない。ミルホッグの歯が落ちた。モグリューの爪は銀色に輝いている。アロエは呆気にとられた。
「その技は……」
『鉄壁』。自分の防御を2段階上げる技である。しかしそれ以上に驚いたのはノエルとモグリューに生じた異変だった。
(なんてこった。アタシは老眼になっちまったのかい……)
アロエは生まれて初めて曖昧な明かりの中、本を読んでいたことを後悔した。
(あの子とポケモンが“光っている”ように見える)
事実、ノエルとモグリューは水色に光っていた。ポケモンが光るのは当然だ。技の効果、進化の瞬間、体質で光るポケモンはいくらでもいる。ポケモンだけならまだしも、トレーナーまで光っているのはおかしい。エスパータイプの『念力』でトレーナーを浮かせるときは光る。だが地面タイプのモグリューはそんな技を覚えるわけがない。ノエルはまたつぶやいた。
「逃げられないなら……立ち向かえばいい……!」
顔を上げたノエルにアロエは息を呑む。少女の瞳も、水色に光っていた。
「モグリュー!『メタルクロー』!」
「かわすんだ、ミルホッグ!」
ミルホッグのHPはまだ余裕があったが、アロエは嫌な予感がして防戦に回る。けれど指示は無駄になった。ミルホッグはモグリューの鉄の爪をかわせなかった。
「『爪とぎ』!『切り裂く』!」
モグリューは走りながら爪を地面に当て摩擦で研ぐ。攻撃力と命中率を上げそのまま攻撃へと転じる。無駄のない動きだ。アロエは30年以上培った自分の知識と経験をフル回転するが思考が追い付かない。ミルホッグのHPが馬鹿みたいに削れていく。
「『催眠術』!」
「『泥かけ』!」
ミルホッグは相手の動きを止めようとするが、逆に自分の動きを止められてしまう。目に泥をかけられミルホッグはひるむ。今度はアロエが焦る番だった。
(技?特性?レベルアップ?アイテム?馬鹿な!そんなものじゃない……)
ミルホッグとモグリューの素早さは本来同等である。ただミルホッグのほうがレベルが高かっただけ。それが今じゃモグリューがスピードで圧倒している。素早さだけではない。見たところ攻撃・防御・命中率・回避率……ありとあらゆる能力が上がっている。さらに本来まだ覚えないはずの技まで使っている。こんなの科学的にはありえない。
「『穴を掘る』!」
その少女の体のどこからそんな気迫が出てくるのか。その小さなポケモンのどこからそんな力が湧いてくるのか。モグリューは穴を掘っただけなのに、地面が『マグニチュード7』並みに揺れている。本棚から本がばたばたと落ちる。勝てない…………そう確信したアロエは、少女に大きな声で訊ねた。
「アンタはいったい、何者なんだ!?」
最後まであがくつもりだが、どうしても今知りたかった。
「あたしはっ……!」
「カノコタウンの……っ」
ミルホッグはツタージャを倒したときと同じ技を繰り出そうとする。
「ノエル・ピースメーカーよっ!!」
「リュウウウウウウウウウウッ!!」
モグリューは『切り裂く』で『敵討ち』を正面から破った。ミルホッグは背中から倒れていく。ジムリーダーのポケモンが起き上がらないとわかると、ノエルとモグリューを包む光は消えた。部屋は1匹目のポケモンが倒れたときのように静かになる。幸い今回は悲しみはなかった。あるのは驚きのみである。アロエはよたよたと前へ進むとミルホッグをボールに回収する。お互い信じられなかったが、勝負はついたのだ。
「大したもんだよアンタ!惚れちゃうじゃないか!」
最初に動いたのはアロエだった。
「ただ攻めるだけの今時のイケイケ女子高生かと思ったけどやるじゃないか!途中から補助系の技も使うようになったし……。ウットリするほどの得も言われぬ戦いっぷり!このベーシックバッジを受け取るのにふさわしい……」
興奮するアロエはノエルへと歩み寄る。思わず彼女を抱きしめたくなったのだ。握手でもいい。適当な紙にサインをしてもらうのも悪くないと思っていた。
「モグリュー!!」
「バカっ!あんなに無茶して……大丈夫?怪我はない?」
「リュ~♪」
モグリューは無邪気に鼻を少女の顔にこすりつける。
「もうっ……!」
彼女は悲しんでいるのか喜んでいるのかわからない不器用な笑みを浮かべる。おつかれ、とモグリューをボールにしまい立ち上がる。
「アロエさん勝負ありがとうございます!これからはポケモンとトレーナーの気持ちをもっと考えるようにします!それではポケモンセンターに行くので失礼します!」
言うが早いがもう彼女は走り出す。どうやら彼女の場合は感動よりも安堵の気持ちのほうが強いらしい。感動するアロエを置いて去ろうとしている。
「おいおいちょっと!……ったく。ノエル!待ちな!」
階段の中段にいるノエルに、アロエはCDケースのようなものを投げる。ケースには紫の長方形のバッジがテープで留められていた。
「ベーシックバッジと技マシンだよ!技マシンの中身は『敵討ち』。アンタが苦戦した技さ。前のターンで味方のポケモンが倒れていたら威力が倍になる技!使いどころを究めれば強敵も倒せるんだよ!」
ノエルはケースに貼られたラベルを見て頷く。
「ありがとうございます!」
彼女はお辞儀をしていなくなった。
「おっと」
「ごめんなさい!」
部屋の外で彼女と男性の声が聞こえる。ノエルと入れ違いにキダチが部屋に入ってきた。
「博物館が揺れてびっくりしたよ。勝ったのかい?ママ」
この男はまだ子どもがいないのに妻をママと呼ぶ。アロエはすっきりした顔で答える。
「いいや。負けた」
「えっ。めずらしいね」
2人は床に落ちた本を拾い始めた。“ピースメーカー”。その名前がアロエの頭から離れない。
「アンタ……“ピースメーカー”って名前に聞き覚えはないかい?さっきの子、ノエル・ピースメーカーっていうんだけど」
「ん~?」
キダチは少し考え込む。
「…………ああ!そういえばそんな名前の考古学者がいたね。ほら、学会で一度だけ会ったことがあるじゃないか。たしかママの本棚にも彼の本があったはずだよ」
気がつけば本を拾っているのはキダチだけだった。アロエは記憶を辿り、別の本棚からある1冊の本を取りだす。
『The Twin Towers』
本を開き、そでに記載された著者の写真とプロフィールを見てアロエは納得する。
「髪と瞳の色、顔つき、そして強引な戦い方……トウジ・ピースメーカーにそっくりだ。そうか……あの人、娘がいたんだね……」
しみじみと写真を見つめるアロエ。キダチも惜しい人を亡くしたとこぼす。しかし新たなことを思い出しキダチは首をかしげる。
「あれ?でもあの人には子どもは……」
「……ん?そうだったっけ?……じゃあ姪(めい)だったのかな」
アロエは『The Twin Towers』を机に置き、残りの本を片づけた。